沿革

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 戦後間もない1946年(昭和21年)、当時立教大学2年の鈴木啓正(元日本学生協会(JNSA)基金理事長)が、 日本学生協会(JNSA)基金の前身である「日本学生協会」を設立しました。
 鈴木は、中学生時代から、世界語である英語を身につけることの重要性を痛感し、 親友とともに英語弁論大会を開催することを夢見ていました。 戦争末期、特別攻撃隊に志願した鈴木は「もし、自分が生き残ることができたら、 親友との約束をはたすために、英語弁論大会を必ず開く」と決意しました。



沿革

 敗戦を迎えると、鈴木はすぐに行動を起こしました。 海軍兵学校ご在学中、消灯後もこっそり勉強されていたという高松宮殿下に、 日本学生協会および英語弁論大会の名誉総裁に就任していただこうと、鈴木は宮邸を何度も訪問しました。 結果、「継続は力なりと言うが、教育は国の力だ。この大会は半世紀、50年続けたい。続けなければ意味がない。日本は戦いに敗れ、今後は国際国家として生きていかねばならない。 その時一番必要なのは、国際語である英語だ。その意味からいうと君の計画は大変意義のあることだ。」 というお言葉とともに、高松宮殿下が名誉総裁を務めてくださることが決まりました。

 大会の目的は「将来国際社会の一員として日本を背負う若い人に、国際語である英語を熟達させると共に、 広くその普及を図り、世界文化の発展ならびに国際親善に寄与する」というものでした。 こうして、高松宮杯全日本中学校英語弁論大会がはじまり、 その運営組織として日本学生協会は本格的な活動を開始しました。 高松宮杯を共同主催する読売新聞社の嘱託社員となった鈴木の下には、大学の英語会(ESS)に所属する大学生らが集い、日本学生協会の委員として尽力しました。協会の本部は東京・下落合にある鈴木の自宅(旧日本学生協会(JNSA)基金本部)に置かれました。

 日本学生協会の主催する高松宮杯は年々盛大になり、1963年(昭和38年)の第15回大会からは、 日本コカ・コーラが協賛企業となりました。同社は中央大会のために上京する代表生徒の旅費・宿泊費を援助し、 決勝大会の上位3人に高校・大学奨学金を給付しました。これにより、高松宮杯はいっそうの充実をみることになりました。 翌1964年(昭和39年)には、鈴木が読売新聞社へ正式に入社しました。 こうして、日本学生協会は、日本の英語教育の幅広い底辺を支える高松宮杯の主催団体として、発展を続けました。
 その後、1985年(昭和60年)4月に、日本学生協会は読売新聞社、日本コカ・コーラ株式会社、 国際ソロプチミスト東京-東、パーカーペンジャパン社(現ニューウェルラバーメイド株式会社)、 IBMなど各界の後援を得て、「21世紀の日本を担う、国際性豊かな青少年を育てるために、 国際語である英語を熟達させると共に、広くその普及を図り、日本文化の発展ならびに国際親善に寄与すること」 と目的を改め、日本学生協会(JNSA)基金(日本学生協会基金: Japan National Student Association Fund)と改称しました。
 翌1986年(昭和61年)には、創立40周年にあたり、ご高齢の高松宮殿下を補佐していただくため、 高円宮同妃両殿下が日本学生協会(JNSA)基金および弁論大会の名誉副総裁にご就任なされました。 翌年2月3日、高松宮殿下ご逝去により、高円宮同妃両殿下が名誉総裁にご就任なさいました。 時は流れ、1998年(平成10年)の第50回大会で高松宮杯は終わり、第51回大会より、 高円宮杯全日本中学校英語弁論大会へと継承されました。 残念ながら、2002年(平成14年)11月21日に高円宮殿下がご逝去なされたため、 現在は、高円宮妃久子殿下がお一人で大会および日本学生協会(JNSA)基金の名誉総裁を務められています。 以上のように、日本学生協会(JNSA)基金は戦後の日本とともに、激動の時代を歩んできました。



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 その間、日本学生協会(JNSA)基金には多くの学生が在籍しました。 中学生として、英語弁論大会へ出場し、その後大学生として大会の運営に携わった者も数多くいます。 弁論大会の運営に限らず、それぞれの時代に、それぞれの学生たちが創意工夫をこらし、 さまざまな活動を行なってきました。「半世紀は続けたい」という高松宮殿下のお言葉を支えに、日本学生協会(JNSA)基金は長い歴史を刻んできたのです。